令和7年12月3日
1 小諸義塾高校開校迫る
朝晩の冷え込みが日に日に強くなり、7月から9月まで続いた猛暑の記憶が冬仕様に書き換えられています。
さて、第2期高校再編の先陣を切って小諸義塾高校が来年4月に開校します。小諸高校と小諸商業高校は10月下旬に現在の校名で最後となる周年行事、創立120周年記念式典を合同開催しました。
10月24日にプレスリリースされました令和8年度第1回高校入学志願者調査結果からは小諸義塾高校普通科への関心が高いことがうかがわれます。第2回調査結果は1月に公表されます。2月の前期選抜をにらんで、例年、現実的な志願者数になりますが、今回注視すべきは人数より学力層の動きです。
私が中学3年生時の高校入試(昭和49年度入試)では12通学区制が施行されました。上田地区の高校を受験できなくなり、さらに小諸高校が男女共学になりました。当時、小諸市内の中学校では上位層に小諸高校進学を勧める指導が行われました。実際に小諸東中学校では学年トップが小諸高校へ進学しました。
今回の統合ではこのような進学指導は行われないと思われますが、岩村田高校あるいは野沢北高校から小諸高校普通科へ吸収される受験生が一定数いる可能性があります。皆さんのお知り合いに高校受験生の保護者がおられましたら、雑談の中で話題にしていただくと様子がわかると思います。いずれにしましても、高校入試結果は、県全体の平均点は公表されますが、各校の平均点、得点度数分布等は公表されません。教育関係者との情報交換や雑談をとおして状況を把握し、分析・判断する必要がありそうです。
2 大学入試制度の変遷
昭和50年代まで大学入試といえば得点勝負の一般入試が主流でした。私は昭和52年卒ですが、私のクラスで大学へ推薦入学したのは1人だけでした。このような状況でしたので、浪人生が何人もいました。私もその中の一人でした。
国立大学受験では一期校、二期校時代が長く続きました。当時は別日程だった公立大学と合わせると国公立大学3校を受験できました。その後、1979年(昭和54年)から新たに共通一次試験が開始され、国公立大学は1校受験時代へ移行しました。ちなみに、私が浪人して受験した年は最後の一期校、二期校方式でした。
昭和60年代から平成初期には「一芸一能入試」という推薦入試が広がってきました。「一芸一能入試」とは学力だけでなく、スポーツ、文化、芸術等、特定分野での優れた技能や実績を評価して合否を判定する入試方法です。私がこの方法を知ったのは、平成元年に赴任した2校目の勤務校、大町北高校(現大町岳陽高校)放送部員の早稲田大学合格の時でした。大町北高校はかつて大北地区の女子高でしたが、男女共学後、生徒指導上の問題行動が頻発する、いわゆる荒れた学校になっており、大学進学者は少数でした。当時、放送部はNHK全国放送コンクールで優勝する実績を上げていました。放送部顧問は全国優勝の実績を活用して一芸一能入試で早稲田大学、慶応大学、信州大学、立命館大学等、大町北高生にとっては超難関大学であった大学へ毎年合格者を出し続けました。一般入試しか経験してこなかった私にとって衝撃的な出来事となり、各高校の状況に応じた進路指導ができる力量の必要性を痛感させられました。
共通一次試験は1990年(平成2年)からセンター試験と名称が変更され、国公立大学に加えて、私立大学が「センター試験利用型入試」を導入して参加しました。
平成10年代になると私立大学に「指定校推薦」、「公募推薦」が一気に拡大し、平成10年代後半には「AO入試」が加わってきました。「指定校推薦」は大学が定めた指定校の生徒だけが出願できる入試制度であり、ほとんどが合格しました。当初、大学側は合格実績がある高校へ指定校推薦枠を出していましたが、生徒急減期を見越して、有名私立大学以外は実績に関わらず枠を設けるようになってきました。「公募推薦」は大学が定めた出願条件を満たしている生徒を学校長が推薦する制度です。多くの受験生が不合格になりました。AO入試とはAdmissions Officeの略で、学習意欲や学校への適性、個性や能力を評価する自己推薦型入試です。こちらも不合格になるケースが多数見られました。
令和に入り、2021年(令和3年)からAO入試は「総合型選抜」、センター試験は「共通テスト」と名称が変更されて今日に至っています。近年、「総合型選抜」、「公募推薦」では「探究的学び」の成果を活用して出願する流れが確立されてきています。この流れは私立大学のみならず、国公立大学でも実施されるようになっています。委員会通信第1号で紹介した新校のキーワードが「探究的な学び」となっているのはこのような入試の推移と無縁ではありません。
3 英語教育の今と、地域につながる学びの広がり
最近の英語教育は、私たちの高校時代とは大きく変わりつつあり、単語や文法を覚えるだけでなく、「自分の考えを言葉にして伝えるための道具」として捉えられるようになりました。生徒自身が問いを立て、調べ、考え、英語で表現する「主体的な学び」や「探究的な学習」が広がっています。たとえば、社会課題や地域の話題をテーマに、英語で調べ、クラスで意見を発表する授業を実践している学校もあります。社会や科学、地域課題などの内容と英語を結びつけて学ぶ CLIL と呼ばれる手法です。例として生徒が関心のある日常的な内容、校則や校舎のこと、身近な歩道や地域活性化のことなどを題材にすることも可能です。
私は議員として地域づくりに関わる立場でしたが、若い世代が地域の課題に目を向け、そこに自分の言葉で関わっていく姿勢は、地域の未来にとっても大きな力になると感じています。英語という道具を通して「自分のまちを外の世界に向けて語る力」を育てる学びは、これからさらに重要になるのではないでしょうか。
英語を使って、自分の言葉で海外の人たちと直接コミュニケーションがとれるということは、自分にとって大きな学びになります。自分が当たり前だと思っていることが当たり前でなかったり、「普通」って何だろう?と考えさせられたりします。英語教育の新しい可能性を知るたびに、母校で学んだ時間を思い出しながら、次の世代がどんな未来をつくっていくのか楽しみに感じています。
終りに
今回は吉川副委員長にも英語教育に関する内容で協力していただきました。私たちが母校で受けた英語教育とは随分変わってきていることがわかりますのでご一読ください。
私は小諸市に住んでおり、時々小諸商業高校付近を通る機会があります。グランドにクレーン車が据え付けられており、新体育館の全容が見えるようになってきています。小諸義塾高校開校準備が予定より遅れながらも進んでいる様子がわかります。
次回委員会は3月開催予定です。2月頃には連絡したいと思いますのでよろしくお願いします。
今回の寄稿は池田義則(1,2、終りに)、𠮷川友子副委員長(3)でした。

令和6年10月5日 長野県立武道館にて
創立100周年記念コンサート兼式典終了後 森山良子さん(中央)と全校生徒集合写真